備忘録

自分のためだけに書きます

古い町並みの話

 私が今住んでいる尾道は、太平洋戦争で空襲がなかったこともあり、狭い路地に沿って木造家屋が立ち並ぶ密集地が多く残っている。住む前からJR山陽本線から街並みを眺める度に「茶色い建物が多いなぁ」と思っていた。なんとなくそんな景観が気に入っていた。


 商人の屋敷だったような密集地は庭もあるが、漁業を生業としてきた人たちの集住区は本当に長屋が隣接している。建築基準法上、道路の中心線から最低2m離れていないと、建物を建てることができない。これは1980年代に入ってからの基準なので、いまだに幅2mもない路地に沿って民家が林立するような街並みは、「既存不適格」となる。

 

 そんな街にとって脅威となる火災が頻発した。先日、尾道の木造密集地で2件立て続けに火災があり、十数棟が全焼してしまった。木造で焼えやすく密集しているので延焼しやすいという環境的な問題に加えて、住民が高齢であることから死者が出るリスクも高い(幸い、今回はゼロだったが)。さらに狭い路地は消防車の進入を妨げ、消火を遅らせる。空き家の存在だってネックだ。

 

9日 密集地で相次いで火災 | FMおのみちWeb

 

 尾道では空き家再生のNPO法人の活動が盛んで、移住者が空き家を改装してカフェや雑貨屋をしている。それは尾道に一地方都市としてくくれない個性を与えている。けれど、その個性と安全性は両立しえない場合がある。街づくりって難しい。

 

www.onomichisaisei.com

 

 火災が起こった後、神戸の長田で都市社会史の研究者が長田の戦前戦後史を語る勉強会に参加した。長田区は阪神・淡路大震災の被害が酷く、木造家屋密集地が何か所も大火に見舞われた。区の南側のJR新長田駅周辺は震災前、大正筋・六間道などの商店街の間に細路地が入り組み市場、飲食店、住宅が林立する、なんとも魅力的なエリアで栄えていたようだ。尾道と同じで、一帯が空襲に遭わなかった分、戦前からの区画がかなり残っていたのだ(神戸自体はけっこう空襲を受けていたのだが)。

 

 研究者の方も「空間の安全性と盛り場のにぎわいの両立は難しい」と言われていた。街区に広い道路を確保し店舗をビルにまとめれば、綺麗で安全な地区になるだろうが、個性は失われる。人も滞留しにくく、個人の店は商売が難しくなる。震災後の人口減少と再開発の失敗が相まって、新長田駅周辺は今空洞化真っただ中にある。

 

 大都市周縁部の長田と、地方都市の尾道では事情も違うが、安全性と個性の両立という意味では同じだ。実際、震災後の神戸市は木造密集地の再整備を一気にするのではなく、ゆるやかな移行政策も打ち出している。「密集市街地再生」と銘打って、古い家屋の解体費用を補助して跡地を防災空き地にしたり。地元のまちづくり協議会に拡張が必要な道路と狭いまま残す道路を決めてもらい、「既存不適格」でも建て替えができるよう建築基準法を緩和させたり。既存のコミュニティや景観を維持して災害に強い地区にしていくことを狙っているようだ。

 

www.city.kobe.lg.jp

 

 尾道でできることとすれば、ここらへんがヒントかなと思う。路地や密集地の味わいや利点は残しつつ、何かあった時の被害は軽減できるようにやっていく。空き家再生のいい面ばかりがクローズアップされがちだけど、せっかく新しいことをしている人たちが災害で苦しい目に遭う姿は見たくない。