備忘録

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【読書雑記】マルクス『資本論』 ② ~貨幣形態について~ 

価値形態と交換価値(第1章 3~4節)

 

第1回で、商品の3つの価値について取り上げた。第1章は全4節。残りの2節でマルクスは、なぜ貨幣によって商品を購入できる「貨幣形態」が生まれたのかを解き明かしていく。

 

1.一番単純な価値表現

 

貨幣なんかなかった時代、魚のない農村とコメのない漁村は、それぞれの特産物を交換して生活していた。いわゆる「物々交換」だ。が、コメ1粒に対して魚10匹という交換では当然釣り合わないので、何らかの適切な交換比率があることになる。商品にしても同じことだ。

 

で、2つの商品が釣り合った状態がこれ

 

20エレのリネン=1着の上着(x量の商品A=y量の商品B)

 

20エレのリネンは1着の上着と等しい。何が等しいのかというと「価値」がだ。リネンの価値は上着によって表されている。ここで、ある商品の価値はほかの商品によって相対的にしか表せないということを押さえておかなければならない。

 

20エレのリネン=20エレのリネン 

(→これだと、交換行為をするうえで、価値が分からずに困ってしまうだろう)

 

  • 相対的価値形態…ある商品Aの価値が別の商品によって相対的に表現されること
  • 等価形態…別の商品にとって自らは商品Aの等価物であること

 

この交換の在り方から、2つの形態が見えてくる。リネンの相対的価値形態は上着であり、上着はリネンの等価形態ということだ。

 

 

2.貨幣形態への変容

 

上で見たのは、あくまで1対1の物々交換だった。しかし、社会が発展して商品の交換が加速化していけば、商品AだろうがBだろうがCだろうが、あらゆる商品の価値を表してくれる等価物があった方が便利だよね、という話になる。そこで生まれるのが、貨幣だ。

 

  • 貨幣形態…あらゆる商品の価値を表す1つの商品が決まる「一般的等価形態」にあり、その1つの商品が貨幣商品として機能する状態のこと

 

20エレのリネン=2オンスの金

→貨幣形態に至ると、このような式を立てることができるようになる。僕らが日々店頭なりアマゾンなりで見ているのはこれだ。

 

 

3.貨幣形態の矛盾

 

相対的価値を表現できる根拠となった社会的必要労働時間は、デヴィッド・ハーヴェイによれば、市場交換が必須となる資本制生産様式に特殊の存在であるという。(デヴィッド・ハーヴェイ資本論入門』64p)。貨幣形態と価値形態は、互いに絡み合いながら登場してきたというわけだ。

 

さて、価値を代表する貨幣も、商品である以上使用価値である。貨幣形態においては、貨幣という使用価値しか、リネンの価値を見える化できない。なので、以下のようなことが言えるようになる。

 

抽象的な労働の表現手段としての価値は、特殊な生産条件や工程による具体的な労働によって生み出された使用価値をもってしか表すことができない

 

これはつまり、「社会的必要労働」と前回に説明した抽象的な労働によってできた価値を浮かび上がらせる「現象形態」の貨幣は、金を溶かして型にはめるとかの具体的な技能労働によってできているということだ。私的な労働も社会的労働なのだと、マルクス流にいえばそういうことになる。

 

一体ここで何が問題なのか。相対的価値形態や等価形態において、商品の交換というのは、具体的労働、抽象的労働によってそれを作り出した人間同士の関係を表していた。リネンにも上着にもそれを特殊な工程で作った労働者がいるわけで、さらに個々の特殊性を取り去った単なる労働という行為により、交換比率を決められる価値も生まれている。つまりはすべて人間がやったことだし、両商品の交換によって、双方の労働者は社会的関係を築いているのだ。

 

問題は、貨幣というものが、そうした関係を覆い隠してしまうということだ。人と人との関係を、モノとモノの関係にしてしまっている。

 

なぜ労働は価値で表現されるのか、なぜ労働時間が生産物の価値の大きさに反映されるのか、そうした分析をこれまでの経済学は怠ってきたことを、マルクスは指摘し、批判するのだ。