備忘録

自分のためだけに書きます

【読書雑記】マルクス『資本論』 ② ~貨幣形態について~ 

価値形態と交換価値(第1章 3~4節)

 

第1回で、商品の3つの価値について取り上げた。第1章は全4節。残りの2節でマルクスは、なぜ貨幣によって商品を購入できる「貨幣形態」が生まれたのかを解き明かしていく。

 

1.一番単純な価値表現

 

貨幣なんかなかった時代、魚のない農村とコメのない漁村は、それぞれの特産物を交換して生活していた。いわゆる「物々交換」だ。が、コメ1粒に対して魚10匹という交換では当然釣り合わないので、何らかの適切な交換比率があることになる。商品にしても同じことだ。

 

で、2つの商品が釣り合った状態がこれ

 

20エレのリネン=1着の上着(x量の商品A=y量の商品B)

 

20エレのリネンは1着の上着と等しい。何が等しいのかというと「価値」がだ。リネンの価値は上着によって表されている。ここで、ある商品の価値はほかの商品によって相対的にしか表せないということを押さえておかなければならない。

 

20エレのリネン=20エレのリネン 

(→これだと、交換行為をするうえで、価値が分からずに困ってしまうだろう)

 

  • 相対的価値形態…ある商品Aの価値が別の商品によって相対的に表現されること
  • 等価形態…別の商品にとって自らは商品Aの等価物であること

 

この交換の在り方から、2つの形態が見えてくる。リネンの相対的価値形態は上着であり、上着はリネンの等価形態ということだ。

 

 

2.貨幣形態への変容

 

上で見たのは、あくまで1対1の物々交換だった。しかし、社会が発展して商品の交換が加速化していけば、商品AだろうがBだろうがCだろうが、あらゆる商品の価値を表してくれる等価物があった方が便利だよね、という話になる。そこで生まれるのが、貨幣だ。

 

  • 貨幣形態…あらゆる商品の価値を表す1つの商品が決まる「一般的等価形態」にあり、その1つの商品が貨幣商品として機能する状態のこと

 

20エレのリネン=2オンスの金

→貨幣形態に至ると、このような式を立てることができるようになる。僕らが日々店頭なりアマゾンなりで見ているのはこれだ。

 

 

3.貨幣形態の矛盾

 

相対的価値を表現できる根拠となった社会的必要労働時間は、デヴィッド・ハーヴェイによれば、市場交換が必須となる資本制生産様式に特殊の存在であるという。(デヴィッド・ハーヴェイ資本論入門』64p)。貨幣形態と価値形態は、互いに絡み合いながら登場してきたというわけだ。

 

さて、価値を代表する貨幣も、商品である以上使用価値である。貨幣形態においては、貨幣という使用価値しか、リネンの価値を見える化できない。なので、以下のようなことが言えるようになる。

 

抽象的な労働の表現手段としての価値は、特殊な生産条件や工程による具体的な労働によって生み出された使用価値をもってしか表すことができない

 

これはつまり、「社会的必要労働」と前回に説明した抽象的な労働によってできた価値を浮かび上がらせる「現象形態」の貨幣は、金を溶かして型にはめるとかの具体的な技能労働によってできているということだ。私的な労働も社会的労働なのだと、マルクス流にいえばそういうことになる。

 

一体ここで何が問題なのか。相対的価値形態や等価形態において、商品の交換というのは、具体的労働、抽象的労働によってそれを作り出した人間同士の関係を表していた。リネンにも上着にもそれを特殊な工程で作った労働者がいるわけで、さらに個々の特殊性を取り去った単なる労働という行為により、交換比率を決められる価値も生まれている。つまりはすべて人間がやったことだし、両商品の交換によって、双方の労働者は社会的関係を築いているのだ。

 

問題は、貨幣というものが、そうした関係を覆い隠してしまうということだ。人と人との関係を、モノとモノの関係にしてしまっている。

 

なぜ労働は価値で表現されるのか、なぜ労働時間が生産物の価値の大きさに反映されるのか、そうした分析をこれまでの経済学は怠ってきたことを、マルクスは指摘し、批判するのだ。

 

 

【読書雑記】マルクス『資本論』 ① ~価値について~

ひとまず放り出さなかった「資本論

 

資本論を読んでみたい」。漠然とした思いのままにアマゾンで全3巻のうち第1巻をポチったのが2月のことだ。そこから10か月、ようやく読み終えることができた。これでまだ3分の1というので、たぶん2巻目を読むモチベを抱くには相当な時間がかかるだろう。

 

資本論〈第1巻(上)〉 (マルクス・コレクション)

資本論〈第1巻(上)〉 (マルクス・コレクション)

 

 (↑ 読んだのは、有名な岩波文庫版(向坂逸郎訳)などではなく、筑摩書房の「マルクスコレクション」から出されたもの。訳が一番わかりやすいというレビューそのままに買いましたが、確かに分かりやすかったです)

 

昔の全共闘時代の革命戦士たちも、闘争に忙しくて実はあんまり資本論読んでいなかったという話を聞いたが、確かに資本論は長いし難しい。しかし筆者の大学生の時を振り返ると、授業で過去の遺物のようにマルクス経済学が紹介される一方で、恩師の先生からは「資本制社会とは何かということを追究した本はこれしかない」的なことも言われて、やっぱり気になっていた。ちょうど地理学の勉強をしたいなと思ってマルクス主義経済地理学者のデヴィッド・ハーヴェイに興味を持っていたので、有り余る時間をドブに捨て続けていた学生時代の反省も込め、思い切って源流の資本論を読む決意をしたのだ。

 

休日や仕事終わりのわずかな時間を縫って読み進めてきたもので、やってみると相当面白くはあった。それだけに、その内容を十分理解せぬまま忘れてしまっても悔しいもの。ならばと、ここで第1巻の個人的に気になった部分を解説していくことにした。あくまで自分の頭の中に理論を入れていく一つの手段として…。第1回は表題のように、マルクスの資本制理解の最初の切り口となる、価値概念について第1章から書いてみる。

 

ー以下本題ー 

 

マルクスの価値概念(第1章「商品」第1節~2節より)

 

1.商品に宿る3つの価値

 

マルクスの目的は、資本制的生産様式のメカニズムの解明だ。社会にあふれる商品の総計は、社会の富として表すことができる。ここから、マルクスはまず商品に注目して分析をしていく。

 

商品に関して、使用価値、交換価値、何も冠のつかない「価値」、この3つの価値が登場する。

 

3つの価値がどう違い、どう連関しているのか、自分もここでまず躓いた。分かりにくさにあふれた表現になるが、マルクスの言葉を使いながら、説明をしていきたい。

 

  • 使用価値…人間にとって有用な物である。使用され、消費されて初めて価値が表出する「商品の身体」。鉄や小麦など、その物体そのものが使用価値なのである
  • 交換価値…商品の他の商品との交換比率である。ここで、商品は単なる量として示されるだけで、使用価値は一切含んでいない。

 

使用価値は、例えば水や空気のように商品化されていないものにも当てはまり(空気が商品化されたらヤバいね)、したがって資本主義特有のものではない。一方交換価値は、市場の登場を思わせるものだ。

 

マルクスはここで、リンゴとかみかんのような異なる商品を交換できるのは、いずれの商品も共通の何かで測ることができるからだとする。共通の何か―。それが3つ目の「価値」である

 

  • 価値…人間の労働によって生み出されたものである。ある商品を作るために費やされた労働時間の長さが、価値の大きさとなる。

 

各商品の使用価値という側面を見ないようにすると、どの商品も人間の労働生産物という側面しか持たなくなる。で、その生産物を作るために必要な労働時間の長さこそ、価値の大きさだというわけだ。1個の商品Aと2個の商品Bが価値としてイコールであるのは、どちらも同じだけの労働時間をかけたから、ということになる。

 

2.社会的必要労働時間

 

だが、ここでまた躓いてはいけないのが、ここでいう労働時間は「今日は特別慎重な気持ちで、普段の倍の時間をかけて1個のミシンを作りました」という個別具体的な労働時間とは違うのだ。それでは、いたずらに長い時間をかければかけるほど1個の商品の価値が高い、ということになってしまうからだ。

 

ここで登場するのが「社会的必要労働時間」という抽象的な概念である。これは、ある使用価値(商品のことね)を生み出すために、平均的な生産設備のもとで平均的なスキルの労働者が特段サボらずに掛けた時間のことだ。この時間が同じである商品同士は、同じ価値を持っている。そうマルクスは結びつける。だから、商品の生産技術が一般的に向上し、1個生産するための社会的必要労働時間が減ったとすれば、それはその商品の価値が下がった、ということになる

 

3.価値の連関

 

ごちゃごちゃとしてしまったが、「使用価値」「交換価値」「価値」の関係性を整理しよう

 

  1. 商品というモノは人が消費をするので「使用価値」を持っている
  2. 商品は別の商品と交換をされるので、その時に量的な比率として表される「交換価値」を持っている
  3. 量的な比率は、商品生産のために社会的に必要な労働時間の量である「価値」によって決まる
  4. なぜその労働が社会的に必要かというと、生産する商品が「使用価値」を持っているからである

 

使用価値→交換価値→価値→使用価値 というループが出来上がった!いずれも同じ商品のことを、別々の側面から見たときに出てくるものだ。

 

各価値を総計したものが商品の全価値になるとか、そういう解釈をすると誤解になる。また、先ほどの社会的必要労働という「抽象的な労働」は、現実のミシンとか鉄とかを作るための作業プロセスを経てなされる「具体的な労働」とは別物である。

 

ただ、具体的な労働をしないと商品は生産できない。だから上の3つの価値の話と同じように、商品を生み出す労働過程には、交換価値の根拠となる価値を生み出す抽象的労働と、使用価値を生み出す具体的労働、この2つの側面がある、という風に捉えればよいのかなと思う。

 

 

マルクスの「労働価値説」というと言葉だけは知っていたが、商品同士の交換の背景に人間の労働を見出すというのは、現代の経済学にはない着眼点だ。それだけでも、今後マルクスが資本制システムでの労働者の搾取というものをどう理論づけて記述していくか、苦しいなりにも読み進める楽しみが出てきた。第2回は、商品交換から貨幣へのつながりについて、引き続き第1章を紹介していく。

 

「この町が好き」をトゥアンでひも解く

 

 イー・フー・トゥアンの『空間の経験ー身体から都市へ』を読んだ。

 

空間の経験―身体から都市へ (ちくま学芸文庫)

空間の経験―身体から都市へ (ちくま学芸文庫)

 

 

大学の人文地理学のゼミで彼の「場所愛」という概念がよく出てきた。『トポフィリア―人間と環境』という本で提唱されていて、その時はあまり興味が湧かず、読むこともなかった。しかし働き始めてからいつしか「人は何故地域に惹かれるのか?」という疑問を持つようになり、再びトゥアンに辿り着いた。

 

「この町が好きなんです」とはっきり口にする人は多い。心を洗われに何度も行く旅先、休日や仕事帰りに向かう街角、落ち着きのある自宅前の通り、父母がいる故郷。「この町」といっても、対象や場面、「町」が表すスケールはさまざまだ。景観が良いという人もいれば、その町で築いた人間関係(コミュニティといってもよいかも)を好む人もいる。反対に、人付き合いの煩わしさから逃れ一人になれる所があるから好きだ、という人もいるだろう。

 

●人間の主観を重視した「空間認識論」

 

ここで、町などの地域に物理的に存在する自然や人工物、あるいはその集合体について、人間が何らかの感情を抱いていることに気付く。トゥアンはこの『空間の経験』のなかで、「空間」「場所」「経験」という概念を用いてこうしたことを説明している。

 

経験とは、人が何らかの現実を知り、その現実に何らかの構造をあたえる際の様ざまな様式のことを指す包括的な用語である。それらの様式は実に多種多様であり、嗅覚、味覚、触覚といったより直接的で受動的な感覚から、視覚による能動的な知覚や、象徴化という間接的な様式にいたるまで幅広く広がっている。(『空間の経験』P10)

 

どの感覚器官の働きによって、また、どのような感覚の経験によって、人間は空間と空間的特質への強い感覚を持つようになるのであろうか。この問いに対する答えとして出てくるのは、運動感覚と視覚と触覚である。(…中略…)空間は、まず何よりも、そのなかで運動する余地があるものとして経験されるのである。さらに、人はある場所から別の場所へ移動することによって、方向の感覚を獲得する。(…中略…)人間は、視覚によるのであれ触覚によるのであれ、方向性をもった運動と知覚によって、空間のなかの種々の物体からなる周囲の世界を知るのである。(同P16‐17)

 

空間には、互いにかなり重なり合ってはいるが、神話的空間、実際的空間、抽象的もしくは理論的空間という三つの主要な型を認めることができる。神話的空間は概念として想定される枠組みであるが、同時に、作物の種蒔きと収穫といったような数多くの実際的活動がその枠組みのなかで秩序づけられているという意味で、実際的空間でもある。神話的空間と実際的空間との相違は、後者は、一連の経済的活動だけに限定されているという点にある。(同P24)

 

場所は、ある種の対象である。場所と物体は空間を限定し、空間に幾何学的性格をあたえる。(…中略…)物体と場所は、価値が集中している中心であって、いろいろなものを様ざまな度合で引き寄せたり拒絶したりする。(…中略…)われわれがある物体や場所を全体的に経験するとき、つまり活動的で思索的な精神の知的働きを通して経験するだけでなく、すべての感覚をも通して経験するとき、その物体や場所は具体的な現実性を獲得するのである。(同P25‐26)

 

つまり、直接的な感覚や思考、それに伴う行動が絡み合った「経験」をしながら、人間はある「場所」から別の「場所」へと移動し、「空間」を認知する。そして「経験」はまた、特定の「場所」に対する価値付けもしていく。というわけだ。

 

もっぱらここで言われているのは自分が実際に動いている「空間」だろう。が、概念としての「空間」、例えば行政の都市計画で示される「都市空間」も、人間の感情や思想を概念に具体的な形にしたものだという。結局は、人間の主観をもってしか空間は認識されていない。

 

松田(1999)*1は、トゥアンの空間認識論は個人の主観を重視する自己中心的(決して悪い意味で使っているわけではないのだが)なものだとしている。この場所が自分にとってどんな価値を持ち、場所が点在する空間がいかなるものなのかを個人が知っていく「今」に力点を置いているというのだ。

 

●なぜ「この町が好き」となるのか

 

ここで、「なぜ人は地域に惹かれるのか」という疑問に立ち返る。これまでの理論に沿えば、「地域が好き」は「地域にある場所が好き」に置き換えられるだろう。そして「場所」たりえるために必要なのが「親密な経験」だとトゥアンは言う。

 

「親密な経験」とは、自分にとって「安全」「保護」を感じられることだという。それは他人とコミュニケーションをすること(親や友達…)でも、仕事に熱中することでも、ベンチに座って思索に耽ることでも、感じられるだろう。全て個人的な経験だ。そしてこうした経験は大概無意識にしていて、後になって初めて価値として認識することが多いのだという。

 

故郷の町は、親密な場所である。そこは、優れた建築もなければ歴史的魅力もない平板なところかもしれないが、しかし自分の故郷の街が他所者から批判されると腹が立つ。故郷の町が汚いことは問題にはならない。子供時代に木に登り、ひび割れた舗道で自転車を走らせ、池で泳いだ時には、故郷の町の汚さは問題にはならなかった。われわれは、そのような小さなよく知っている世界を、つまり日常生活のこまごましたものは無限といってよいほど豊かにあるが、しかし高度に想像力を欠いている世界をどのように経験したのだろうか。(同P228)

 

このくだりなどは納得する。性格的に自分の故郷のことをポジティブに捉えたことはほとんどないのだが、他人に「あの町ってつまんないよね」と言われるとなぜかイラっとする。好きという感情が特になかろうとも、幼少期や思春期を過ごした「場所」がその町にはある。逆説的に、その「場所」(だいたい家や学校、通学に使う鉄道の駅、塾につながる坂道とか…)を通してしか町という空間を知らない分、「故郷の町は退屈でつまらない」というネガティブなイメージも持ちうるのだ。

 

ただ「この町が好き」という感覚は、どちらかと言えばポジティブなものだろう。そして「地域」という言葉を用いる以上、「親密な経験」ができる場所が「〇〇市」「〇〇市中心部」として地理的・行政的に括られる地域空間に点在し、その経験をある程度は好意的に捉えているということなんじゃないだろうか。そうすればこそ、「私、この町が好きなんです」という「地域愛」が生まれてくる。

 

そして「この町が好き」という言葉は、毎日を過ごす現住地だけに使われるわけではない。かといって、1度だけのパック旅行で訪れた観光地に使うこともあまりない。

 

住んではいないが行きつけの飲み屋や喫茶店がある町、趣味の音楽活動をしたり語ったりできるライブハウスや仲間がいる町、好きなアニメや映画の舞台が点在する町。そうした日常と非日常の中間地点で小休止ができる「場所」がある町には、「好き」という言葉を躊躇なく使えるだろう。日常を煩わしいものとして捉えているなら尚更だ。

 

長々と書いてきたけれど「この町が好き」というのは、つまるところ町に「居場所」があるということなのではないだろうか。その居場所は日常であってもいいし、日常から定期的に逃げられる「半日常」であってもいい。さらに言えば、町に日常と半日常が同居していてもいい。

 

トゥアンの空間認識論は、空間の中での建造物や人々の生活の形成過程・歴史に重点を置かない(それは人文地理学でも歴史地理や経済地理の分野になるのだろう)ため、物足りなさを感じる面もある。それでも人間が地理的な領域に感情移入をするということは、人口移動やそれに伴う開発を促し、地域構造に影響を及ぼす話でもある。

 

構造と主観、両方から地域を見ることができる。もっと学生のうちに地理学を勉強しておけばよかった、と今更反省している。

 

 

最後に、仕方なく帰ってきた地元で、親密な経験を通して場所を作っていき、段々地元が好きになっていく(=あきらめがつく)例として分かりやすいのがこれ。

 


広島ガスCM「このまち思い物語」第1話

 

*1:松田純子、イ―フ―・トゥアンの「場所」理論について、文化女子大学紀要. 服装学・生活造形学研究 30(1999-01) pp.139-148

古い町並みの話

 私が今住んでいる尾道は、太平洋戦争で空襲がなかったこともあり、狭い路地に沿って木造家屋が立ち並ぶ密集地が多く残っている。住む前からJR山陽本線から街並みを眺める度に「茶色い建物が多いなぁ」と思っていた。なんとなくそんな景観が気に入っていた。


 商人の屋敷だったような密集地は庭もあるが、漁業を生業としてきた人たちの集住区は本当に長屋が隣接している。建築基準法上、道路の中心線から最低2m離れていないと、建物を建てることができない。これは1980年代に入ってからの基準なので、いまだに幅2mもない路地に沿って民家が林立するような街並みは、「既存不適格」となる。

 

 そんな街にとって脅威となる火災が頻発した。先日、尾道の木造密集地で2件立て続けに火災があり、十数棟が全焼してしまった。木造で焼えやすく密集しているので延焼しやすいという環境的な問題に加えて、住民が高齢であることから死者が出るリスクも高い(幸い、今回はゼロだったが)。さらに狭い路地は消防車の進入を妨げ、消火を遅らせる。空き家の存在だってネックだ。

 

9日 密集地で相次いで火災 | FMおのみちWeb

 

 尾道では空き家再生のNPO法人の活動が盛んで、移住者が空き家を改装してカフェや雑貨屋をしている。それは尾道に一地方都市としてくくれない個性を与えている。けれど、その個性と安全性は両立しえない場合がある。街づくりって難しい。

 

www.onomichisaisei.com

 

 火災が起こった後、神戸の長田で都市社会史の研究者が長田の戦前戦後史を語る勉強会に参加した。長田区は阪神・淡路大震災の被害が酷く、木造家屋密集地が何か所も大火に見舞われた。区の南側のJR新長田駅周辺は震災前、大正筋・六間道などの商店街の間に細路地が入り組み市場、飲食店、住宅が林立する、なんとも魅力的なエリアで栄えていたようだ。尾道と同じで、一帯が空襲に遭わなかった分、戦前からの区画がかなり残っていたのだ(神戸自体はけっこう空襲を受けていたのだが)。

 

 研究者の方も「空間の安全性と盛り場のにぎわいの両立は難しい」と言われていた。街区に広い道路を確保し店舗をビルにまとめれば、綺麗で安全な地区になるだろうが、個性は失われる。人も滞留しにくく、個人の店は商売が難しくなる。震災後の人口減少と再開発の失敗が相まって、新長田駅周辺は今空洞化真っただ中にある。

 

 大都市周縁部の長田と、地方都市の尾道では事情も違うが、安全性と個性の両立という意味では同じだ。実際、震災後の神戸市は木造密集地の再整備を一気にするのではなく、ゆるやかな移行政策も打ち出している。「密集市街地再生」と銘打って、古い家屋の解体費用を補助して跡地を防災空き地にしたり。地元のまちづくり協議会に拡張が必要な道路と狭いまま残す道路を決めてもらい、「既存不適格」でも建て替えができるよう建築基準法を緩和させたり。既存のコミュニティや景観を維持して災害に強い地区にしていくことを狙っているようだ。

 

www.city.kobe.lg.jp

 

 尾道でできることとすれば、ここらへんがヒントかなと思う。路地や密集地の味わいや利点は残しつつ、何かあった時の被害は軽減できるようにやっていく。空き家再生のいい面ばかりがクローズアップされがちだけど、せっかく新しいことをしている人たちが災害で苦しい目に遭う姿は見たくない。

【本棚】鎌田慧『ドキュメント 屠場』

 気が向いたときにだが、読んだ本の感想もまとめておきたい。

 

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

 

 

 屠場(とじょう)とは、家畜を殺して食肉などにする屠畜場のこと。地図上にある「食肉センター」がそうだ。

 

 被差別部落と屠殺を生業とする人々の関わりを知らないと、この本に幾度となく出てくる「差別」の意味が分からないかもしれない。屠殺に関わる人が差別され不可視化される理由は、ここでは深く立ち入っていないが、「牛や豚がどうやってロースやバラになってるんやろ」という疑問は自分でも持てるわけで、それだけ生活に身近でありながら表沙汰にされていない世界ということだ。

 

 登場するのは、東京芝浦、横浜大黒町、大阪南港の屠場。それから、屠畜から加工までの機能を備える、徳島の四国日本ハムの工場だ。労働現場の業務プロセスの記述と、労働者のライフヒストリーの紹介が続く。工程は「自動車の組み立てラインを逆にしたようなもの」という表現が分かりやすい。製造業現場の取材が長い鎌田氏は、機械化が進みながらも、なお熟練の技術が求められかつ重労働であること、そして必ずしも機械化に馴染まない工程もあることを、丁寧に記述している。

 

 鎌田氏のルポを読むのはこの本が初めてだったが、現場の話を聞いて回る人だけに、どうしても労働運動の記述が多い。ただ、芝浦屠場で内臓業者が都職員の人手を穴埋めするために「タダ働き」をされていた話など、何重もの業者からなる屠場の複雑な雇用環境から生まれた問題があり、労働運動で行政の直営、労働者の直接雇用を勝ち取った歴史も分かる。その点は面白かった。

 

 屠場に勤める人たちを、職人気質で仲間意識の強い、古き良き労働者として鎌田氏は描いている。古くからの世間の差別意識、そして近年の機械化や外国産食肉への依存、そうしたものが現場の労働者を痛めつけていることへの怒りもうかがえる。鎌田氏のスタンスの是非は別として、現場に入って当事者に話を聞くというのは、やっぱり貴重なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「地域」に興味を持ち始めた話

 就職して2年。「地域」という言葉を日々頭に浮かべながら生活をしている。一体なぜだろう。自問をしてみたい。

 

 

 高校までは田舎町で、地域を意識しない育ち方をした。地元の歴史を自主的に調べることなどもちろんなかったし、伝統行事に親しんだ記憶もない。友達も少なく、家族と出かけることもなかったから、基本は学校と家を往復する生活だった。大学で「君の地元ってどんなとこ?」と聞かれて答えることがなく困ったような記憶がある。それくらい地元に思い入れがなかった。

 

 「実家で暮らしたい」

 「昔からの友達と仲良く過ごしたい」

 

 そんなことを言う人の気持ちがよく分からず、大学で都会に出てきた。最初は見知らぬ土地で人間関係の作り方が分からず、孤立した生活で苦しいなぁと思った時期もあったが、じきに慣れた。都会での暮らしが合ったというより、それなりの居場所が大学生活で見つかったから(サークルを通した友人関係など)だと思う。

 

 

 でも基本は、一人が好きだった。一方で、一人でいるときの時間の使い方、楽しみ方はあまり分かっていなかった。

 

 

 都会に楽しみがあふれているとはいえ、大きな百貨店とかモールとか繁華街を巡りたいわけでも、おしゃれなカフェに行きたいわけでも、テーマパークではしゃぎたいわけでもなかった。かといって凝った趣味があるわけじゃないから、イベントに出向いたり専門のショップで品を集めるわけでもない。一流のビジネスマンになってやろうと、意識の高いセミナーに通っていたわけでもない。電車が好きだったから、いろんな路線に乗れるのはよかったけど…。

 

 文化と情報が集積する都会に住む優位性を、当時それほど感じていたわけではなかった。日常を送る空間が、たまたま今は都市なんだというだけの認識だっただろう。行動範囲が狭く金もない大学生なんて、得てしてそんなものかもしれないが…。

 

 

 自分が「地域」なるものを意識しはじめたのはいつなのか。

 

 

 大学生活も中盤に差し掛かったころ。大都会のターミナル駅から2キロ弱しか離れていない地区を歩いたときだった。貨物線の線路を隔てた先にはツインタワーや商業ビルが立ち並んでいるというのに、その地区は木造家屋が密集し、人通りはまばら。最寄りの駅は島式の大変狭いホームで、悲しいくらいさびれたアーケード街があった。

 

  

 だが不思議と、自分はそこを歩いていてのんびりとした気分になった。どこか身近な非日常に迷いこんだ感じ…。ターミナルのど真ん中をイヤホンを付けて歩いている時は決して感じないもの。「足を踏み入れてはならないゾーンに入ってしまった」という違和感もなかった。同じような魅力を感じた人が他にもいたのか、不思議と空き店舗を改修したカフェがあったり、今まで触れたことのない雑貨とか本を扱うショップがあったりした。

 

 

 よくよく注意してみてみると、都市にはそんな地区がたくさんある。商店街や盛り場として今も栄えていたり、衰退する一方だったり、新しい人が入って再生の動きがあったり、状況はそれぞれだが、下町的な雰囲気を出している地区だ。そうしたエリアは、オフィス街や繁華街など、他の性格を持つ地区から分離されているわけではなく、地続きのように存在する。様々な性質の地区の集合体として大都市が成立しているからだ。

 

 

それからなんとなく、「街並み」に関心が出てきた。

 

 

 電車の駅ごとに街の雰囲気が違うなぁとか、高架下の薄暗さがいいなぁとか。その程度だったけど。フィールドワークをするのが合っているかもと、ゼミも人文地理学を選んだ。課外授業でインナーシティを歩いて回ったり、都市論とか地域社会学の本を読んでみたり…。あまり理解が深まった記憶はないが、自然と「地域」という言葉をよく使うようになった。

 

 

 旅の仕方も少し変わった。もともと18切符で乗りつぶし旅行をするのが好きだった。ただ行先で過ごす目的はなく、かといってマニアというほど鉄道好きでもなく、消化不良の感があった。ゼミでフィールドワークをして癖がついたのか、行先で街並みを歩いて見て回ったりするようになった。もちろん、住んでいる地域の街並みも…。自然と、なんでこんな街並みが形成されたのだろうと疑問が湧いてきた。

 

 

 「街並み」の形成には、「地域」の位置づけや歴史を知らないといけない。それは本を読んだり街を歩くうちに、なんとなく分かっていった。たまたま大学のサークル活動も、住んでいた地域に関係する物事を扱っていた。いろんなことが複合的に重なって、「身近な地域がただ住むだけの場所だったり、住んでいる人と関わりを持たないのはなんかいやだな」と思い始めていた。

 

 

 結局、地域と関わる仕事をすることになった。生まれ育った地元とも、街並みの面白さを教えてくれた都会とも違う場所で。

 

 

 振り返ってみると、現状はある程度筋の通った過程を経て至ったものなのかもしれない。あまり自治体の動向とかに興味はないんだけど、地域への興味はいろんな視点から持つことができる。街並み、コミュニティ、歴史、文化、自然…。そうしたものの形成と変化を見ていきたいのかもしれない。自分が使う「地域」の定義がイマイチ定まっていないけど、とりあえず興味はあるんだから色々勉強していけばいいのだろう。興味を持てる分野ができただけ、人生の収穫はあった。

 

 

 次は「地域の何を掘り下げたいのか」「どの地域を掘り下げたいのか」。それが定まるまで、しばし修行だ。